天智と天武だと蘇我氏もかっこよくかかれてるよ
の意味がわからない
たまたま一時期、蘇我氏が専横を極めて皇位簒奪まで企んだのを大化改新で阻止して滅ぼした、
と思ってるけど実態はたぶん違うよな。
それまでのヤマト政権は豪族の連合政権みたいなもので、大王(オホキミ)家は実務としては祭祀を担当する名目的統治者にすぎず、
それに不満を持った大王家がクーデターを起こし有力豪族たちから権力を奪い、
実質的君主の地位を確立したのが大化改新の実態だろう。
日本という国号と天皇という君主号もその際に初めて考案され、(それ以前は倭であり大王)
ついでに、日本や天皇というものがはるかな過去から存続していたかのように歴史も改竄された、と。
祭祀を担当していたのは物部氏と中臣氏
仏教崇廃に関して蘇我氏と対立
その頃の天皇て権力闘争で変わったりイメージ変わった
世襲じゃないじゃんて
主に近代以降の国制を意味する天皇制と
前近代の天皇の在り方を混同するような言い方はやめた方がいい
つまり今でもいる
神武天皇は武則天による創作で唐の歴代王族を適当に繋ぎ合わせて編纂した
日本の実際の天皇の歴史は645年持統天皇(=武則天)から始まった
武則天の諱(いみな)は「照」
つまり天照大御神とは武則天の事
天皇、天后という「天」の字を初めて王族に冠したのも武則天
持統天皇はファンタジー世界のクリエイターで中国人で天照大御神だと
源義経はチンギスハンであるという説や
イエス・キリストは日本で死んだという説レベルには信憑性があるかな?どうかな?
成吉思汗
↓
吉成りて水干を思う
↓
吉野山の誓成りて静を思う
蘇我本家を滅ぼした中大兄皇子が怪しい
>>32
天武天皇の男系子孫は皇族としては全滅している
現在の皇室は中大兄皇子の男系子孫
残りまくり
すまんが調べたいから残ってるやつの名前を教えてくれ
称徳女帝は西暦770年に亡くなっている
その時点で生存していた天武天皇の男系男子の系統のうち一部を列挙する
・天武天皇-草壁皇子-文武天皇-聖武天皇-称徳女帝
・天武天皇-高市皇子-長屋王-桑田王-磯部王-石見王-峯緒王(844年臣籍降下)
・天武天皇-高市皇子-長屋王-安宿王—高階浄階(834年死没)
・天武天皇-忍壁皇子-山前王-葦原王-仲嗣王-春枝王-岑正王(843年臣籍降下)
・天武天皇-長親王-智努王-大原王-文室綿麻呂(823年死没)
・天武天皇-舎人親王-御原王-小倉王-繁野王(804年臣籍降下)
・天武天皇-舎人親王-貞代王-有雄王(850年臣籍降下)
・天武天皇-新田部親王-塩焼王-氷上川継(812年伊豆守)
わかりやすいように男系子孫がその数十年後にも存命がわかるように年を入れた
つまり天武天皇の系統がこれだけ残っているにも関わらず
突然に天智天皇の系統へと切り替えられている(しかもその時に百済王の血筋が皇統に混入)
ありがとう
こういうのは母親の血統も重視されるので、その観点も含めて少し調べてみた
✕高市皇子(母:地方豪族の娘)
✕忍壁皇子(母:宮人→めしおんな)
◯長親王(母:天智娘)-✕智努王(752年臣籍降下、皇位の放棄)
◯舎人親王(母:天智娘)-△御原王(母:当麻山背…淳仁天皇廃帝に従い、淡路流刑→罪人?)
-△貞代王(母:不明)
◯新田部親王(母:藤原鎌足娘)-✕塩焼王(聖武天皇に無礼を働いた経緯から、孝謙天皇に皇嗣となることを拒否される)
高市・忍壁の系統は血筋で除外、長親王と新田部親王の系統は経緯からなしとわかる
あり得るとしたら舎人親王の子のどちらかくらいか?
不明の母の血統には期待できそうもないだろうが
徐福の子孫と殷王朝の末裔である準王との関係は対立だったのか血縁関係だったのか
蘇我氏は秦氏ではなかったのか
崇神が来る前から三輪山麓には文明があった
天皇家は自分たちのクーデターを正当化するため
蘇我馬子を悪人として歴史に残さなければならなかったけど
王としての馬子の功績全てをなかったことにするのは不可能だったので
聖徳太子という架空の人物を作り上げて馬子の功績を彼の所業ということにした
並々ならぬ関係だよね
この頃以前の書物が少なすぎるからな
・蘇我が元々の皇族だった
・百済系の中大兄と鎌足が蘇我本家を滅ぼした
・そして倭(日本)が全力で百済救援戦争をしたが敗北
・中大兄(天智)の天下が続くと思ったら息子(大友)が破れて大海人(天武)の時代へ
・天武系の天下が続くと思ったら奈良時代の最後に大ドンデン返し
・天智系に戻るとともに百済王の血が皇統に入り現在の皇室にも続いている
これで合ってますか?
その通り
しかし蘇我の血は残ったよ
まず天智天皇自体が蘇我稲目の子孫なので現皇室は蘇我の子孫でもある
次に不比等の息子の藤原四兄弟のうちイマイチだった京家を除いた三兄弟(北家・南家・式家)はいずれも母親が蘇我つまり藤原の子孫のほとんどは蘇我の子孫でもある
つまり日本人の上層部のほとんどは蘇我の子孫なのである
不比等に意図的に悪者にされてるのは確か。
蘇我蝦夷とかどう考えても名前おかしいだろ。
天智天皇がクーデターで世襲制にしたのが天皇制だと思うわ
推古天皇は創作
同時代資料には当時の日本は男王とある
蘇我氏が滅ぼした物部氏も有力豪族で大王も出していたんだろうな
それを藤原家が仕える家の正統性を強調するために日本書紀を編集した藤原不比等が色々歴史の改ざんした
天智はなぜなかなか即位しなかったのか?いつどこで崩御したのか?
天武はいつどこで生まれたのか?
天智の娘が4人もなぜ弟である天武に嫁いだのか?
天武はなぜ天智から後任の天皇となる依頼を断り出家して吉野山に行ったのに、天智が崩御すると壬申の乱で天智の息子を討ち権力を掌握したのか?
天武は忍者の元祖という話もある
とにかく謎が多く興味深い二人
同父同母の兄弟ということになっている
それなのに兄の娘が4人とも弟に嫁いでおりこんな例は他で見たことない
これは違うのか?
皇極斉明は重祚
皇極斉明は再婚
神功皇后と武内宿禰は三韓征伐で朝鮮半島南部を統治下に置いた。
なので百済とも繋がりがあって
仏教などの大陸側の文化を積極的に取り入れて財を成す。
中大兄皇子は殺害して天皇になった(なる道を開いた)
書紀はそれを隠したとか